64.月の都



あらまあどうしたの。
あんまり起きているとおめめがうさぎさんのように真っ赤になっちゃうわ。
眠れないの。うん、はじめこのおうちで泊まって眠るんだもんねえ。
そんな夜もあるわよねぇ。
それじぁ何かお話しましょうか。
何がいい。桃太郎、瓜子姫、どんなお話がすきかな。
みんな知っているお話だから、つまらない、そうなの。
それじゃあ、おばあちゃんの昔の頃のお話をしてあげましょう。
もっとこちらへおいで。
そうね、おばあちゃんが、ずうっと小さいころで、まあちゃんと同じぐらいの背丈だったころからはじまる物語ね。

おばあちゃんは今から何十年も前戦争が起こっていたころ生まれたの。
ようやく長い長い戦争が終わって、終わったころ気がついたらひとりぽっちだったの。
本当のお母さんとお父さんは気がついたときにはいなかったからね、
暗い道端で街頭の光を浴びながら暮らしていたころがあったのよ。
うーん、どれくらいの期間だったのかなあ。
すごく大変だったのは間違いないのにね、おかしなことに記憶がないの。
孤児っていう子供だからね、同じような子がいる施設で育ったのよ。
おばあちゃんね、その頃から自分のことが嫌いになったの。
日本人は生まれつき黒髪だけど、おばあちゃんはほら、金色の髪をしているでしょう。
まあ、今は白い髪のほうがふえて目立たなくなったけどね。
ええ、おめめも濃い青ね。
みんな戦争で悲しいことを体験していて、おばあちゃんを見るとどうしても戦っていた国を思い出しちゃうのね。
おばあちゃんもみんなが怒った顔をしてこちらを見るのがつらくてね、なるべく目立たないようにしていたの。
だから自分がどこから来たのか、誰なのか、なぜみんなと髪の色も瞳の色もちがうのか誰かに教えて欲しかった。
きっと両親はこの髪と瞳と同じ色をしていたと思うけど、知りようがないものね。

ある日、迎えに来てくれた人がいたの。
望んだ同じ色の髪をした両親ではなかった。
少し歳をとっていて白いものが髪に混じっていたけれど、ごくごく普通の、穏やかそうな男の人と女の人だった。
「宮子ちゃん、川島さんをご紹介するね。もうすぐこの人たちがお母さんとお父さんになるのよ。本当によかったわね。」
そう施設の先生は言ってくれたわ。
「お母さんと、お父さんと呼んでね」って言ってくれてね、いつも二人とも優しくしてくれたわ。

でも、施設をでてもね、こんどは学校ではいじめられたのよ。
みんなと違うと、それだけで怖がられる。
子どものころはっきりそのことを知ってしまって、哀しかったわ。
それはもういじめられたわ、異人、異人の子、海の向こうのアメリカに帰れって。
だからこっそりお父さんの硯で墨をすって、筆で絵を描くように髪にぬりつけたこともあるの。
そんなことをしてもみんなと同じ、黒髪にはなれなかった。
だって、お風呂で洗ったらすぐ色はとれてしまうものね。
お母さんに髪を墨で塗っている姿を見られたとき、怒られると思ったら、優しく抱きしめてくれながら、話してくれたの。
施設の先生から、いつもお花に水をやってくれたりそうじをしてくれる優しい女の子がいると聞いて、その子が娘になってくれたらいいなって思ったわ。
はじめて見た時、天使のような子だと思ったわ。
娘になってくれると決まった時、本当に嬉しかった。
だから、変わらなくていいのよ。
自分のことをもっと好きになっていいのよ。
お母さんにそういってもらえて、ようやくその時おばあちゃんは自分のことが好きになれたのよ。

はじめてのお家はとても綺麗なお屋敷で、そのこともあって、数年間は近所の人もクラスメイトもじろじろ見て、からかってきた。
けれどたったひとりだけ、おばあちゃんのことぜったいにいじめない子がいたから、ずっと寂しいだけじゃなかったのよ。
ちょっと年上の男の子と出逢ったの。
いつも広場の木の上に登って黙って空をながめながら片手でビー玉をいじっていてね、さんざんいじめられたことを話しているおばあちゃんが言うのも変だけど、変わっていたわ。
容姿が変わっていたじゃなくて、性格が、個性的で輝いていたの。
仲間はずれにされているわけでなく、自分の意志でひとりでいるような感じだった。
ある日木の上から話しかけてきて、それまであったことをいろいろなことを話したの。
ひとりだけ容姿が違っていて、どうしても目立っていじめられてしまうこと。
お父さんもお母さんも愛してくれているのに、いつか、本当の両親が迎えにきてくれたらと心の奥で思っていること。

黙って話を聞いてくれて、話し終わると男の子はくすっと笑ってこんなことを言ったの。
「君、かぐや姫かい?」
「かぐや姫?一体だあれ?」
おばあちゃんはその時かぐや姫のお話を知らなかったのよ。
きょとんとしていたら簡単に説明してくれた。
「昔から語り継がれてきた、竹から生まれた小さな女の子の物語さ。てのひらにのるくらい小さかったのにあっという間に大きくなって、美しい娘に成長したんだ。都の5人の男が妻にほしいと頼んできて、かぐや姫はそれぞれに5つの難題をだした。 結局誰もその品物を持ってくれず誰とも結婚しなかった。そして育ててもらったおじいさんとおばあさんをおいて、月の都に帰ったんだ。光り輝くような女性といわれているから、もしかして君のように輝くような金の髪と抜けるような肌を持った異国の白人だった可能性もある。異世界の人間ーーいや、特異な成長だったし、最初から人間ではなかったのかもしれない。君もここではないところが故郷だっていうなら、いつか月からむかえがくるかもね。ああ、いじめるやつらは気にすることない。君がたんに綺麗だから、気になってしょうがないのさ。いつかはわからないけど、君が会いたい人はきっときてくれる。信じてごらん。それまで僕が守ってあげるよ。お姫様にはナイトが必要だから」
「本当?ずっと、わたしのこと守ってくれる?」
「ああ、君が望むかぎりはね」
そういうとさっと木から降りてきて、お日様みたいなまぶしい笑顔で笑ってくれて、その人が笑うとおばあちゃんもなんだか嬉しくて笑いたくなったわ。
ユーモアがあって、はげますことがとても上手だったのね。
それに頭のよい人で、いろいろな話をたくさんしてくれた。
日本や外国の昔の神様のお話、植物、鉱石、星の名まえなんかを楽し気に話す様子を見ていると、おばあちゃん楽しくて時がたつのを忘れたわ。
おばあちゃんはいつも聞き役で、彼は語り役だった。
それからは誰かの話を聞くことが好きになって、いつも人の話すことを一生懸命に聞こうと心がけていたら、お友達が少しづつできはじめたの。
同じ年頃の子と遊ぶ夢がかなったのも、その男の子のおかげね。
このままずっと、そばにいられるといいなって思っていた。
だけれど、数年たって、彼はわたしより早く大人になってしまったの。
とても学校の成績が優秀だったから、外国に勉強に行くことになったの。
ええ、よく知ってるわね、そう。留学っていうのよ。
「遠い国に行くけどいっしょに行くかい」、って聞かれたわ。
冗談かと思ったら、深い夜の色の瞳で真剣な瞳をしてこちらを見つめていた。
後から思ったんだけど、きっとそれはプロポーズだったのね。
引き取られたばかりの子どものおばあちゃんだったら、すぐうなずいていたと思うわ。
でもその頃の成長したおばあちゃんは、今自分がいる場所がとても好きで、やりたいことも見つけて、育ててくれたお母さんやお父さんに心から感謝していたし、ようやくできたお友達と別れたくなかった。
だから、ごめんなさいってあやまってその人とお別れしたの。
その人は「もう僕が必要ではないほど君は成長して強くなったんだね。」
そう言って、最初出会った時と変わらない笑顔で笑ってくれた。

大好きだったけれど、その時どうしても、手をとれなかった。
彼といけば、きっとようやくできた大切な居場所はまたなくなってしまうと思ったのよ。
その時はとても寂しかったけど、後悔はしていないわ。
離れていても互いの幸せを祈っていて、いつも心は繋がっていたからねーーー。


その人はどうなったのか知りたい?
おばあちゃんもすごくびっくりしたんだけどね、かぐや姫のように、本当に月に行ってしまったのよ。
ええ。でもね、お話みたいに天女のむかえがきたんじゃないの。
空飛ぶ牛車でもなく、不思議な雲でもなく、大きなロケットに乗っていったのよ。
その人は外国に行って、大きな学校で誰より宇宙や星に興味を持つようになってね。
たくさん本を読んで勉強して、とても難しいテストを受けてね、なんと合格して、ロケットのパイロットになって、月の世界を見てきたの。
とってもきれいだったでしょうね。
そして、地球のみんなにお土産に、月の石を持って帰ってきたのよ。
数年後に日本でもその石の展示会がひらかれてね、たくさんの人におされてまるでおしくらまんじゅうするみたいな状態で、おばあちゃんも見てきたわ。
でもね、月の石は灰色でごつごつした形をしていてね、全然輝いていなくて、正直ビー玉のほうがきれいだなあって思っちゃった。うふふ。
おばあちゃんは遠くにある美しいものより、近くにあるものでじゅうぶん幸せなの。
ええ、まあちゃんも大好きよ。ばあばの宝物だもの。

え、おじいちゃんとの出会った時のお話も聞きたい?
それはまたいつかお話ししましょうね。
もっと長くなってにわとりさんが鳴く朝になってしまうわ。


さあお話はおしまい、ベッドでねんねしましょうね。
うさぎさんもねんね、まあちゃんもねんね。
ねんねんころり、ねんころり・・・。

* * *

わたしは孫を寝かせると自分の部屋に戻り、引き出しの奥にしまってある黄ばんだ手紙をあけた。
彼が月面を見た後有名人になりながらもひっそり書いてくれた短い手紙だ。


月野宮子様
  月から地球を見ました。
  昔あげたラムネのビー玉そっくりでした。
  そして君の澄んだ蒼い瞳を思い出しました。
  またいずれ。
アレックスより


またいずれ―ー。
美しく整った直筆が悲しい。
いつかまた会えたらという想いは届かぬまま、その機会は永遠にないままになってしまった。
彼は月から帰らなかった――正確に言うと、帰れなかったのだ。
二回目の月の調査で事故に合い、帰還がかなわなかったから。
せめて残された手紙はわたしが死ぬときまで残しておきたいと思う。
最後の別れのときもらったビー玉がはいった小瓶も同様で、ガラスキャビネットの一番高い棚に飾ってある。
曇りガラスのビー玉、気泡がいっぱい入ったビー玉、ふたりで夏祭りで飲んだラムネ瓶のビー玉、マーブル模様のはいったビー玉、水晶玉のように混じりけのないビー玉、とさまざまだ。
大きな鈍い虹色の光が見えるビー玉もあり、それは求婚者に授けられた難題のひとつ、龍神の首にあるという5色の玉を連想させる。
たくさんのガラス球が瓶に収められていると実にカラフルで、美味しそうなキャンディーの詰め合わせのようもに見える。
優しい思い出と同じように、小さなガラス玉は何十年たっても色褪せず輝きを失うことはない。

晶、さん。
彼の日本人だった時の名前を口に出してつぶやいた。
数え切れないほどその名で彼を呼んだのに、外国籍をとってあえて変更された彼の名まえを見るたび、生まれつきそちらの名が本当だったような気がしてくる。
彼には日本という国は、窮屈で退屈な国だったのだろう。
彼がアメリカに行ってから数年たった頃、私は本好きが幸いして図書館で司書として働けることになった。
働きにでた職場である日ふと知り合った人は彼と似ているようで似ていない、真面目で、一途で、口数の少ないけれど、優しい人だった。
珍しい名字で、月野という性だった。
わたしは月野さんといつしか距離を縮めていき一生をともにすると誓い合う仲になり、川島宮子から月野宮子になった。
何の偶然だろうか―ー"月の都"と同じ響き。
それとも、わたしは"月"の"野"原にある"宮"殿に住む"子"どもーーいいえ。まさか、ね。
きみ、かぐや姫かい―ーあの人が言った言葉がさらさらと秋の風がふくように耳元によみがえる。
実際のわたしは平凡で、頑なで、お姫様とはほど遠い存在で、それで満足していた一生だった。
でももし月に住む姫がいるならば、月に住む王子もいていいだろう。
彼は、わたしにとって輝かしい月の王子様だった。

窓辺の白いレースのカーテンが風にゆられふわりとゆれる。
両手でそっとカーテンを広げ空を見上げると満月がまぶしいばかりに真っ白に光っていた。
ふと物語のかぐや姫は地上に残ることを選べなかったのかしら、と考える。
選択肢はできるだけ多い方がいい――あなたの口癖だったわね。
わたしはあなたとの選択肢を断ち切ってしまったけれど、あなたは優しく許してくれて、わたしのことを忘れていない証に手紙までくれた。
かぐや姫も地上に残っていたら、翁に媼、5人の求婚者、帝、都の大勢の人々たち、たくさんの人に愛されたのだから、幸せになれる道もいくつもあったでしょうに。
そうすればかぐや姫の物語はずっと続いていた、誰も嘆かない結末があったかもしれない。
ねえそうでしょう、晶さん。
あなたは森羅万象のことを何でも知っていた。
でもひとつだけ知らないことがあったのよ。
愛する人が天に昇り永遠にいなくなったとき、この世にとり残された者の深い悲しみをあなたは知らない。
わたし、あなたの死を知ったとき、大きな川ができるほどたくさんたくさん泣いたのよーーー。

満月を眺めながら先に遠い星の世界へ旅立った懐かしい友人に語りかけていると、あたたかい色の光が肩にきらきらと降り注いできた。







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