金魚飴

「おや、赤子。きみ、まだ縁側にいたのかい。」
「ええ、とってもきょうはおひさまがあたたかくて気持ちがよいのですもの。瞼が重くなってとろんと眠くなってしまうそうなぐらいね。そういえば、三丁目の斑猫の夜叉麿がさっき塀の上から誘惑してきたけど冷たくあしらってやったわ。」
「夜叉麿か。あいつ、昼飯の秋刀魚を盗んだだけでは飽き足らず、きみまでねらっていたのか。こんど見つけたら万年筆を投げてやろうかな。おや、きみ、顔が紅潮している。あまり陽にあたりすぎると、日焼けをとおりこして木乃伊になってしまうよ。さあ、薄暗い部屋にもどっておいで。」
「木乃伊?」
「ああ、人間の世界で暮らして間もないきみには聞きなれない言葉だったかな。木乃伊とは干からびた死体のことだ。埃及という国で王さまが死んだらぐるぐると丁寧に包帯に包んで乾燥させて、半永久的に身体の状態をたもったのさ。木乃伊として永遠の身体に生まれ変わったともいえるね。でも、きみなら木乃伊になってもみずみずしくて美しい姿をしているのだろうね。それはそれで興味があるから見てみたい気もするがね。」
「木乃伊見たことがないけれどなんとなく想像がつくわ。あたい、道路で黒くなっている干からびたミミズやカエルを見たいことがあるもの、ちっともきれいなものではなかったわ。あんなのごめんよ。だから木乃伊になんてなりたくない。なるなら、もっときれいなものがいい。そうね。飴がいいかしら。」
「飴。それはまた珍妙なものをあげるねえ。」
「ねえ、だって、まえおじさまと夏のお祭りに行った時のこと、覚えているかしら。」
「ああ、もちろん覚えているよ。ぼくはまだ痴呆じゃないからね。きみとのデートは毎回くっきりとなにもかも覚えているよ。」
「おじさま、あの時何でも買ってあげようって言ったの。だからあたい、いろいろな屋台でじっくり観察して、いっとう光っていた赤い食べものを見つけたの。この並んだ赤い玉、なんてかわいいの!って思わずさけんだら、りんご飴だよ、とっても美味しくてほっぺたがおちるよ、かわいらしいお嬢さん、一本どうだいってお店の人が声をかけてくれてね。それであたい、どうしても舐めてみたくなって、りんご飴を買ってねってお願いしたの。おじさまがいいよっていってくださったから、あたい小さいのを選ぼうとしたのよ。そしたら、おじさまこれにしなさいって、一番大きなのをかってくださったでしょう。あの飴、色も紅色で美しくて、つやつやに光っていて、一口かじればしびれる甘さで身体がとけそうな心地がしたわ。持っているだけであんな楽しい食べものはないと思うの。ああ、あたいりんご飴になりたい。」
「きみがそのまま飴になるのだったら、りんご飴ではなく金魚飴とよぶに値するだろう。だってりんごなんて使わない。金魚の姿そのままの上にたっぷりはけで飴をかけるのだから。」
「あら。いわれてみればそうだわ。訂正するわ、金魚飴ね。うろこも尾っぽも包みこまれながら体のすべてにたっぷりの甘い蜜を塗られて、ピカピカになって、極上のつやつやな金魚飴が出来上がるの。それでね、ぷすっと先のするどい竹串でおしりのあたりをさされるのよ。あらやだ、すこしその時は痛そう。でも何事も美しくなるには痛みのひとつぐらい我慢しなきゃね。さて、あつかったとろとろの飴が夏の夕暮れの生暖かい風でかわいたら、橙の提灯がぽっかりついた夜店で売られましょう。そして、ふらりと涼みにやってきたおじさまがいよいよやって来るのよ。すみからすみまで赤い飴を見比べて、あたいに目をとめるの。そしてあたいを指さしながら『うん、この飴がもっとも美味そうだ。この金魚飴を一本くれ』と言われるの。小銭と交換で買われてね、ぺろぺろ舐めて食べてもらうの。それで、おじさまの胃のなかでとけて、おじさまの身体の一部となるのよ。ああ、考えただけで身体がぞくぞくして皮膚が粟立つわ。あたいはおじさまの胃のなかで今おじさまがなにを考えているのか、いつも考えが伝わってくると思うわ。それに若い女に浮気なんかしたら、内臓の中からつっついて、腹痛を起こしてやろうかしら。」
「おお。怖い、怖い。だけど安心おし。そんなことされなくても僕はきみ以外の女にまったく関心がないよ。それにさ、まったく、きみという金魚は、よくこんなおじさんと暮らしているものだね。おかげでおじさんは、今までの人生で一番幸せな思いをさせてもらっているんだよ。一度でもきみの味をしってしまえば、ほかの女なんかなんの面白みもなくてすぐ飽きてしまうよ。きみのために毎日干しだらを準備していれば、それだけで万々歳だよ。」
「本当?これからもずうっと、あたいだけ見てくれる?」
「ああ、おじさんの命にかけて、そう誓うよ。そういえば、さっき埃及の木乃伊の話をしただろう。よし、赤子。砂漠が広がる埃及の国に、新婚旅行に行こうか。まだいっしょに旅行したことなかっただろう。水をたっぷりたずさえて、王の墓を見物にいこう。駱駝という動物の背にのってみるのも一興だ。」
「御船にゆられて遠くに行けるのね。ああ、すごく面白そう。興奮して尾っぽがびくびくふるえちゃう。でもあたい、外国に行けるのかしら。いつも水がないとお肌がひび割れてしまうから心配ね。」
「うん。案外行ってみようと行動してみれば、何とかなるものさ。あそこの国は日本よりもっと暑い。きみが乾燥しないように、万全の準備をととのえよう。きみが持っていきたいものはあるかい。藻や好物の干しだら、手持ち無沙汰になったら遊ぶ小石、何でも持っていっていいよ。ふふ、ほかにも観光客が大勢いるだろうな。そしてそいつらがきみの美しさに目を見張るだろう。絶世の美女だとみんな褒めてくれるだろうよ。」
「まあ。やっぱりすごくいいお話だわ。行きましょう、ふたりで。おじさまとあたいの新婚旅行よ。あたい一番のお気に入りのレースの日傘と赤い御着物と金の帯をもっていくわ。」
「おいおい、すぐには行けないよ。旅をするにはいろいろやることがあるからね。まずは催促されているおじさんの原稿をしあげなきゃな。それまで、ほら。この黄金色の鼈甲飴でもなめて待っておいで。でも、けしてきみ自身が飴になってはいけないよ。太陽の光でどろどろととけて何も残らない。そしたらおじさんはとても悲しいからね。」
「ええ、あたいいつまでも待っているわ。金魚飴になんてならない。きっとおじさまと外国に行くの。いい子でここで待っているから。あ、あとね。またお祭りでりんご飴買ってね。約束よ、おじさま。はい指きりげんまんしましょうね。約束守ってくれたら、毎朝お目ざめのときキスしてあげる。おじさまもあたいにキスしてね。」


*木乃伊…ミイラ *埃及…エジプト