金魚の昼寝

「台所で物音がすると思ったらとてもいい匂いがしてきたね、小腹がすいてくるよ。何かおかずを作っているのかい。」
「ええ、そうよ。ちゃんとお料理の本を読んで作っているのだから、料亭の味にも負けないわよ。ちゃんといい煮干しで出汁をとったの。どんなお料理も出汁が命ね。あとはしばらく味をなじませるために和紙をかけて食材を寝かせるって書いてあるわ。じゃあ、いったん休憩しましょう。ずっと作業していたからすこしおしゃべりしたくなっちゃったし。ねえ、出逢いの瞬間をお話したいわ。おじさまがあたいを選んだのではなくて、あたいがおじさまを選んだのよ。知っていた?」
「へえそいつは初耳だ。そういえばたくさん金魚がいたから、きみがどれかなんて見分けなんてつけずにポイでひょいっとすくったのだよ。きみをなんとなくとらえたと思っていたのに、どういうことだい。」
「あたい、ずっと待っていたの。一生なんの不安もなく暮らせるほどのお金持ちで、身体の弱いところも気遣ってもらえる、そんな優しい旦那さま。」
「おじさんはそれほどの金持ちじゃないよ。でも時たま小説があたって原稿料ががっぽり入ってくるだけさ、まあその辺の坊主よりは財布の厚みがあるだろうな。」
「連れていかれるなら身なりのいい大人がいいわ。口に出さなくてもみんな金魚は腹のなかでそう願っているのよ。だから尻の青いガキなんかに絶対つかまるものかってふんばっていたのよ。母さんに御駄賃もらったから、今から金魚捕まえにいこうぜ、みんなで競争だ、一番大きいやつを捕まえたやつが優勝だからな、優勝したやつは駄菓子屋でアイスキャンデーおごってやるぜ、なんて大騒ぎする子供に捕まったら、家に到着する前にすぐ飽きられて道端に捨てられてしまいそう。ああ、そうならなくてよかったわ。あたい、ぜったいに玉の輿にのるわって真剣だったから、じっとお客のひとりひとりを観察していたの。ある日、歌声が聞こえて、ああ、すごくのどかだわ、この人のところに行きたいと、そう感じたの。お金持ちはあせらず鷹揚としているものでしょ。金魚すくいしながら歌を歌うなんて、大物に違いないと思ったの。あたいの直感はあたるのよ。」
「そうかい、なるほどね。おじさんはなんの歌を歌っていた?演歌かな?」
「あのね、赤いベベ着た可愛い金魚、おめめをさませばごちそうやるぞって歌っていたのよ。あたいの上からふってきた声のほうに行くと、今までにないくらい大きな優しい男の手が見えたのよ。あたい、この人と行ったらきっと美味しい御馳走が毎日食べられるって思ったの。きれいな御着物も鞄も簪だって買ってもらえるはず。おじさまとの暮らしが頭にすっと、ごく自然に浮かんだのよ。この人にすくわれたい、この男性でなければだめよ、そう決めて、ポイのなかに身を投げ込んだの。うすく柔らかく今にも破けてしまいそうなポイの中で、そのポイが必死に破れないようにゆっくりと身をくねらせて、そんなあたいの身体をおじさまが器のなかにそっと運び入れたのよ。そして、ビニール袋のなかでぷかぷかしながらこの家に連れてこられて、そのとおりになった。うふふ、美味しいミジンコを買ってくれるおじさまのもとに来て本当によかった。」
「満足かい?」
「ええ、満足至極よ。おじさまは?」
「おじさんも満足さ。きみ最近料理も作ってくれるようになったしね。卵焼きなんて絶品だ。晩酌のつまみも作ってくれるし。でも、魚を焼くのは気にしないのかい。同じ仲間みたいなものだろう。」
「そりゃあ心が痛むわ、でもね、可哀想だけど、仕方ないことだもの。命をつなぐために屠られた命は感謝していただくものよ。七輪でお魚を焼くの、あたいすごく得意よ。じっくり弱火で焼いて、ぜったいに焦がさないもの。鮭でも鰯でも何でもござれ。先生が美味しく食べてくれればそれでいいのよ。」
「はは、きみが着物の上から白い割烹着を着てくれるだけでじゅうぶんおかずになるよ。その姿を見たらおじさんはご飯が3杯食べられる。ところで今日の夕飯は何だい。」
「ふふ、内緒。美味しいご飯になるのは間違いないわ。御馳走よ。」
「きみはいくつも秘密を隠し持っているね。これからもいろんな内緒やら秘密を教えてくれると思うと若返る心地がするよ。」
「秘密は人生の隠し味よ。おじさまとこれからも深い関係で生きていくうえで不可欠なものだわ。まだ先生が知らない、腰を抜かすほどのとっておきの秘密があるの、いつか教えてあげる。」
「腰を抜かしたら、二度と起き上がれなくなるかもしれないな。おじさんの歳も考えて、身体をいたわっておくれよ。やれやれ、若い金魚の娘と暮らすとまったく落ち着かない。心臓が激しく鼓動して胸がどくどくするよ。さ、愛欲にまみれた小説も書きあがったし、閑話休題だ。夕飯までまたひと眠りするかな。」






童謡 金魚の昼寝

赤いべべ着た
可愛い金魚
おめめをさませば
ごちそうするぞ


赤い金魚は
あぶくを一つ
ひるねうとうと
ゆめからさめた