金魚草

「だいぶ陽が落ちてきたね。赤子、おめかしして、外出の支度をしておいで。これからいっしょに出かけよう。」
「嬉しいけれどもう夕方よ。何だかきゅうね。どこへ出かけるの。」
「さあどこだろう。そんな遠くではない。夕涼みの散歩みたいなものさ。ヒントをあげよう。きみの姿がとてもすきだから、ふやすことにしたよ。」
「まあなぞなぞね、でもそれじゃあますますわからないわ。支度おじさまも手伝って。牡丹の髪飾りをここにつけて、日傘と水筒を持って、この前いただいた珊瑚の帯どめをさしたわ。えっと、近くだったら水筒はいらないかしら。」
「ああ、水は持たなくてだいじょうぶ。さ、手をつなごう。きょうもひんやりと冷たい手をしているな。きみも同じ姿のものがそばにいると嬉しいだろうと思って、予約していたものがあるのだよ。こっちのほうだ。」
「えっ、もしかしてあたいみたいな金魚をまた買ってきて、いっしょに暮らすということ。そんなの悲しいわ、あたい嫉妬の塊になってきっとその金魚を殺してしまう。もう、一体いつのまにあたい以外の金魚と浮気したのよ、こんちくしょう。胸がムカムカするわ。」
「おや、いつものきみらしくない。口の悪い子だね。」
「だってぜったいいやよ、いや。あたいとおじさま、これからもひとりと一匹で暮らしたい。あの家での暮らしを、誰にも邪魔されたくないのよ。」
「ちんぴら、落ち着きなさい。おじさんの家族はきみ一匹でいいと思っている。だからほかの金魚はいらないよ。だってもしきみみたいな金食い虫の金魚がきたら、今以上にお金が必要になって破産するかもしれないしね。きみ最初からおじさんにいくらくれるの、5万円はくれないと、なんて本気でいう金魚だからね。」
「だってあたいがきちんとおしゃれしていたほうがおじさまも嬉しいでしょ。あたい無駄遣いしているわけじゃないわ。必要なものを必要なだけ買っているもの。」
「わかっているよ。きみがあまりに可愛いから少し意地の悪いことを言ってしまったね。ここで誓おう。おじさんの金魚は一生きみだけだ。しっかりものの奥さんで嬉しいかぎりだ。さ、もう目的地についた。」
「あらここ。予想がはずれたわ。近所のお花屋さんね。」
「いらっしゃいませ。やあ先生、これは驚いた、どこのお嬢様ですか。こんな年若い美しい女の子を連れてきて、先生もすみにおけない。」
「お世辞はいいから、この前見せてくれたあれを持ってきてくれ。この娘に見せてあげたくてね。」
「はいはい。これですね。今水をあげたばかりで鮮やかに咲いていますよ。ほらこんなに色とりどりに。」
「あら。かわいいお花ね。茎にずらっとあたいそっくりなのがいっぱいついているわ。紅、白いの、黄色いの、紫もあるのね、いろいろな色の花が咲いているわ」
「名を教えてあげよう。これは金魚草という植物だ。」
「金魚草。まるであたいのためだけに咲いたお花みたい。みんな可愛いわ、全部が可愛くて、お花にキスしたくてたまらない。」
「きみはキス魔だからね。絹のように柔らかく繊細な花だ、優しくしずかにキスしないとすぐ花びらが破けるよ。だが少し焼けるな。見てごらん、花が唇の形をしているだろう。こうして花びらの下の部分を持って指で動かすと、ほら、まるで金魚が口をパクパクして餌をねだっているみたいに見える。」
「お嬢さま、この金魚草、面白い別名もありましてね。この花の形がドラゴンに似ているから、英名でスナップドラゴン、つまりは、<かみつきドラゴン>ともいうのです。」
「かみつきドラゴンですって、まあ怖い。くすくす、本当、指を近づけたらぱくっとこの花の口にかみつかれそうですわ。」
「赤子、かみつきドラゴン、もとい金魚草、欲しいだろう。」
「ええ、お庭で育ててみたい。毎日如雨露で水やりを欠かさずにするわ。太陽の光もたっぷり浴びせてあげる。萎れてきたら美味しい肥料もあげるわ。」
「よし、決まりだ。店主。この金魚草の鉢をあるだけ全部くれ。これで足りるかい。そうか、つりはいらないよ。だが持ってかえるには手が足りないな。3鉢だけ持っていこう。残りは届けてくれ。」
「そうね、ふたりで持って帰りましょう。あたいがひとつ。おじさまはふたつ植木鉢を持ってね。すてきなお買いものができたわ。ああ、なんだかこんなにお花が金魚の姿をしていて、あたい故郷が少しだけ懐かしく思われちゃった。」
「そうかい。それじゃあ、帰りにきみの育ての親の金魚屋に寄っていこう。きみの元気な姿を見せてあげるといい。」
「おじちゃま。あたいのお顔見るとおじいちゃまも元気になるわ。ここの角を曲がって、そして左に曲がるとおじいちゃまの金魚屋よ。ご機嫌いかが。 あたいおじさまにお花を買ってもらった帰りなの。ほら見て、金魚草よ。」
「おう、3歳っ子か。相変わらず仕合せな顔をしているな。ますます別嬪になったようだ。ほお金魚草か。久しぶりにおがんだな。神様も風流な形の花を作ったもんだなあ。まったくおまえにぴったりの花だ、よかったよかった。」
「あんまりお酒飲みすぎちゃだめよ。腹巻でもして体をあったかくしてね。バイバイ、またね。」
「おう。3歳っ子もな。4歳子になるのを楽しみに待っているから、また顔を見せておくれ。」
「おじさまありがとう、親孝行できたわ。時々こうやって里帰りして育ててくれた人に会うのは楽しいわね。」
「おや、なんだい。とても嬉しそうににやにやして。そんなに金魚草が気に入ったのかい。」
「もちろん気に入っているわ、あのね、考えていたのはね、子どものこと。あたい先生の子が産めたらって思っていたから。ほら金魚草こうして眺めていると、小さな金魚の子供がたくさんできたみたい。あたいに似た、あたいと先生の子。うん、そうよ。ふたりの子だと思ってお世話してあげましょう」
「ふたりの子か、じゃあ、縁があってうちに来ることになった金魚たちを神さまからの預かりものだと思って大事に大事に育てよう。何年先もみんな咲いているように。どの鉢にも毎年金魚の姿があるように。おじさんも協力して愛くるしい金魚を子育てしようと思うよ。それぞれの鉢に気に入った名をつけてあげるといい。どの花も愛しいきみとおじさんの金魚の子だからね。」
「ええ、その姿に相応しい名前をつけるわ。黄色の鉢は金次郎なんてどうかしら。白は凛々しいから金之助なんていいかも。赤の鉢は女の子っぽいから金子かしら。」
「おいおい、いくらなんでも金子はかわいそうだ。あんまり品がない。もっと柔らかい響きの名がないかな。そうだ、紅子なんかいいんじゃないかな。きみは赤子、だからその子は紅子。ほらわかるかい、色でつながっている。」
「まあ素敵なお名前。赤よりもっと深い色の紅、何より美しい色だわ。女の子だったら紅子ね。ああ、何だかあたい本気で赤ん坊ほしくなってきたわ。おじさま。あたいいつか本当におじさまの子を産むわ。覚えておいて。」
「何だって。それは、何より嬉しい発言だ。男の子だったらもちろん可愛いし、もし女の子なら、それは言うまでもない。きみのようにおしゃべりな子になったらさぞかしにぎやかだろうね。家族が増えたらさらに四六時中会話がとだえない生活になりそうだ。おしゃべりが達者な子どもたちか、なかなか悪くない。」
「おじさまも子どもがほしがっているなら、気持ちが完全に一致したわね。じゃあ、あたい方法はわからないけどとにかくお産頑張ります。安心してたくさんの卵が産めるようにおじさまも一層お勤め頑張ってらっしゃいね。冷たい冬を越したらきっと見たことのないくらい可愛い赤ちゃんに会えるわ。そんな予感がする。おじさまにぴちぴちしたいきのいいあたいの子をぜったい抱かせてあげるからね。」


金魚草の花言葉…おしゃべり、でしゃばり、おせっかい。