“冬”という、その言葉を耳にするだけで指先までかすかにふるえる季節が、また今年もあちこちの街にやってきました。
身をするどい刃物できりつけてくるような、はだが傷むほどきびしい寒さが続いていました。
外出した時など知り合いに出逢ったときは、毎日ほんとうに寒いことですね、冬が終わるのが待ち遠しいですね、というあいさつがよく聞かれました。
けれど、そのあいさつもしてもらえない可哀そうなひとりの少女が、街角にぽつんとマッチを持って立っていたのです。
「マッチを買ってくださいませんか。マッチはいかがですか」
激しくふきあれている北風によって少女の声はかき消され、細々と声を出している口からは吐息が白く広がりました。
マッチをおずおず差し出しては、首をふって行ってしまう人々の背中を少女が見ていると、鼻にちいさなものがふってきました。

なんだろうと、鼻さきをさわってみますと、指がひんやりぬれました。
それはたしかに目の前にあったのに、すぐにきえてしまったのです。
少女が薄暗い灰色の空を見ていますと、はらはらととめどなく家の屋根や、植木の上にもふってきました。
それからくるくると踊るように、少女の身体にもふってきました。 
この少女はマッチの店にくる前、あたたかい気候にめぐまれた、ここよりはるか南側地方の街にいましたので、雪にふれるのはとても珍しいことでした。
降っている雪の光景を見て、ひさかたぶりに胸に嬉しさが湧き上がりました。
こんなにもきれいなものがたくさんふってくると、寒いのも忘れてしまいました。
なぜかというと、遠くの別の場所へ、たとえばまだ聞いたこともない世界の果ての幻想的なところに行ったような気持ちになってきたからです。
少女はつぶやくと、マッチをすすめる手をいったんやすめて、手に雪をあつめてみようと思いました。
マッチの入ったかごを、道行く人のじゃまにならないようにとじぶんのそばにおきました。
重ねた両手に、おおきな雪がひとつひらひらとおちてきて、はだに切片の結晶がすぅと溶けて見えなくなります。

その瞬間しびれるような感覚が、背中から、脚先まではしっていきました。
ふいにおばあちゃんに逢いたくなりました。
おばあちゃんの笑顔、それはもう誰よりもきれいで、まるであたたかな太陽さんみたいなほほえみで少女をいつも見ていてくれたのです。
この子はわずか2歳のとき流行病で両親を失いました。そして唯一の身よりだったやさしい祖母も去年亡くなり、今は知り合いの人が紹介してくれた日用品の販売店に身をよせて居候をしていました。
少女が身ひとつで訪れた時から店の店主はとても冷淡な態度をしており、毎日朝から晩まで少女をきびしく監視しながら働かせていました。
きょうも薄いマント姿で売りにでかけようとする少女に向かってこう言いました。

「いいか。マッチをすべて売り切るまでがおまえの仕事だ。店に帰ってくるときは、かごのマッチが一本残らずない状態で、かわりに金を入れてもって帰れ。この商売は、身が凍えるほど寒い日にこそ儲かるからな。
だが、ただでマッチをくばることや、おまえが勝手につかうことはだめだ。さあ、わかったらさっさと売りにでかけろ」
「マッチを売り終わったら帰ってきてもいいのですか」
「ああ。一箱のこらず全部だ」

少女は持っているマッチを使ってあたたまることも、実は何度も考えましたが、そのたびに店主の言葉を思い出しました。
「これらは大切な商品だから、わたしは使ってはいけないの」
そう自分に言い聞かせました。
ちゃんといいつけを守って、少女はあんなにかごからあふれるほどたくさんあるマッチを、ほんの一本たりとも使いませんでした。
そして道を足早に通るひとびとに、マッチはいかがですかとけなげに声をかけつづけながら、しんしんと夜は更けていきました。

次の日も街にはやはり雪がはらはらふっていて、昨日のおおきいボタンのような雪ではなく、いつのまにかちいさくてやさしい粉雪へかたちをかえていました。
雪のなかをいく人々の誰かが、とつぜん叫びました。
粉雪に包まれて息絶えている少女が見つかったのです。
マッチを売っていた少女は生まれてはじめて雪を見た日の翌日、誰の目にもとまらない路地裏で眠るように天に召されていました。
人々が少女を発見した時、その顔を見た人は誰もが、なんてきれいな表情をしているのだろうと、ふきんしんな考えと思いながらも、そう感じずにはいられませんでした。
かのじょは雪で作られたやわらかなベッドで、とてもうれしそうな顔をしていました。
それは誰もが大好きな人に会ったときにうかべる、こころからの笑顔でした。
髪をうっすらかくしているやわらかな粉雪は、まるではずかしげな表情をかくすため花嫁にかけられたベールのようです。
頬には雪の結晶がちりばめられていて、朝のおひさまの光があたるたびきめ細かい肌が銀色に光っています。
少女はまだ化粧をしたことはありませんでしたが、はじめての雪は、おしろいのように少女の顔をこの上なく美しく染め上げていました。

昨日少女を見かけたひとたちはみな呆然としました。
恰幅のよい体格のたばこをくわえた男性が瞳をふせながら言いました。
「わたしはマッチをいくつでも買えるほど財布に余裕があったのに、なぜマッチを買ってあげなかったのだろう」
少女とあまり年齢の違わない女の子が泣きじゃくりながら言いました。
「わたしのお小遣いでマッチを一箱でも買ってあげればよかった」
ごく最近赤ん坊が生まれたばかりの若い母親も、毛布にくるまれた坊やを抱きしめながら言いました。
「ひとことかけてあげて、我が家に招いていればこんなひどいことにならなかったのに」
みんな昨日は寒さのあまり、少女の声に耳をかたむけようとは思いませんでした。
一刻も早くあたたかい暖炉のある家に帰って、みずからの凍えた身体を芯からあたためることであたまがいっぱいだったからです。
でも街のひとたちは、ほんとうに、いつもは優しい人たちでした。
ただ、昨日はたいへん寒かったので、そのあたたかさがつまっている心の扉をほんのすこしだけ閉ざしてしまっていたのです。



少女は教会に運ばれて、マッチを売っていた少女のことを知って集まってきた人々により、しめやかな葬儀が行われました。
その中に少女をやとっていた店主の姿はありませんでした。
静まり返ったなかで後ろの方から誰かが言いました。
「もはや結婚して愛する人のために紅をさすこともなく、雪が死化粧になってしまったとは、なんと可哀そうなむすめさん!」
その言葉を聞いて、前の方に座っていた女性がすぐに立ち上がり、持ちあわせていたものを取り出して丁寧に化粧をほどこしてくれました。
その女の人がほそい薬指で紅をわずかに塗ってあげると、肌がすけるほど蒼白く見えた頬と唇は、まるで薄紅色の蕾がいま花咲いたように華やかな表情にかわりました。
教会で人々が神父さまのお話を聞きながらひきつづき葬儀を行っているとき、雪は音もなくまだまだ降り続けていました。
この街と、ひとりの少女の死と、街の人々の悲しみをもかくすように、どこまでも、どこまでも、すみずみまでおおっていくのでした。




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2012.01.01