靴/ムーンストーン



お月様のきれいな夜のことでした

大きなお船のかんぱんで ひとりの少女が佇んでいました
夢のように美しい人魚のお姫様でした

人間の王子に恋をして
人間になるためのお薬を飲み
人間としてふたたび王子を愛するためやってきました

けれどその深く想いに王子は気がつくことはありませんでした

人魚姫は王子をいまだに愛しており 泣いていました

恋して 愛して 殺せなかった
王子様とともに幸せになりたかった

それがかなわない今
たとえ王子の命とひきかえに
海にもどっても わたしは もう けっして 誰も 愛することなんてできない

けれど 王子
どうかお幸せに
あなたの幸せは わたしの幸せです

人魚でもなく
人間でもない
不完全なわたし

愛しているのに 命を奪おうとした罪深いわたしを あなたは許してくれますでしょうか

泣き崩れる人魚姫をみて あまりに可哀想で月が優しく輝きました

月は囁きました

人魚姫
わたしのもとには
悲しみで心を閉ざしてしまったり
心を潰してしまいそうになったものがいる

片耳しかないうさぎ
翼をもがれてしまった小鳥
両の足を失った驢馬
目の見えない老犬

まだまだたくさんの生き物たちがここにいる

種はちがえども
みな 幸せに暮らしている

人魚の国のように豊かな暮らしもできない
人間の国のように贅沢な暮らしもできない
ここには何もないけれど
それでも おまえは来るかい

不思議なことに
お月様も人魚姫も声は出していないのに
ふたりの心を不思議な力が伝え合っていました

お月様
お月様

魔女との約束のとおり わたしは泡になって 海にかえる
けれども
許されるなら
わたくしはお月様のおそばに行きたい

魚の尾を脱ぎ捨てて
こんどは 空から海と王子を見守っていたい

人魚姫は心の中でさけびました

真珠のような涙をはらはらこぼす人魚姫が空を見つめていると
空から小さな靴がおちてきました

月は靴を受け止めた人魚姫にいいました

その靴を履いてご覧
夜の帳を切り取って縫い合わせて作った靴だよ
履けば
空を歩くことができる
 
さあ
朝日が昇る前に
ここまで歩いておいで
階段が消えぬうちに


じっと考え込む人魚姫を見て
まるで生まれたての赤ん坊を
あやすように
お月様がくりかえしました


乳白色に輝く小さな石がついた青い靴を履くと
目の前に空に向かって透明なガラスのようなほんとうに透明な階段があらわれました

一段一段と月に向かって ゆっくりガラスの階段はのびていきました

やがて階段は月まで届くほどになりました

おそるおそる足をのせると 真冬の氷のようにたいへん薄く透けているのに
冷たくもなく むしろほんわかあたたかささえ感じました


お月様の方を目指し 人魚姫は一段 また一段と 空高く
階段をのぼっていきました

その時の様子を遠くから見たら
まるで少女が空中を浮かんでいるように見えたことでしょう

けれどだれのそのことに気がついた人はいませんでした


明け方朝日が登り始めると
ガラスの階段も光にとけて 見えなくなりました

すっかり明るくなった頃 空から靴が落ちてきました
人魚姫が月までたどり着いたあかしでした


海のなか 朝の逍遥をしていた人魚姫の一番上の姉さんがひろいました


みんな見て 散歩していたら靴が落ちてきたの

妹の人魚姫たちにも見せると 人間の国の知識に一番疎い6番目の姉さんが聞きかえしました

靴って どういうものなの

2番目の姉さんが笑いながらこたえました

人間が二本の足を守るために履くものよ ほとんどの人間が脚につけているわ

5番目の姉さんがため息をこぼしながらいいました
なんてきれいなものでしょう  脚がないわたしたちは手につけみたらどうかしら

4番目の姉さんは 

手につけたら 不便じゃないの
それより みんなは平気なの 
わたしにはその靴についている金の光がまばゆすぎるのよ 目が痛くて仕方がないわ

と瞬きをしきりに何回もしました


3番目の姉さんがつぶやきました
このはてしない海のどんな光より眩しいかもしれないわね
 
ね あのこも 人間になって こんな靴を履いたのかしらね

みな
可愛い人魚姫が人間の靴を履いて歩いているところを想像しました
けれど
やはり人魚姫が笑って海を泳いでいる姿が思い浮かんでしまい
誰もがため息をついて それぞれが思い出にひたるばかりでした

手の平におさまるほどの大きさの
輝く金色の宝石がついた青い靴 
それはまるで 一番星が輝く夜空をそっくりうつしとったような 美しい彩でした

その頃
月の国で暮らしている 人魚姫は
動物たちに囲まれながらいつまでも楽しく素足でダンスをしていました

お月様の国では
あんなに離れている海の様子も地上も すぐそばにあるように見えてしまうから
不思議なものです

靴を手にとり眺めている姉さんたちの様子に気がつくと
微笑みながら いつまでもいつまでも飽かず見つめていました


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