白い塔 2

白い塔 2



王子が、なぜ娘の心について語らないのか、もしかするとわたしのために知らないふりをしているのかと考えたこともありますが、
まったくそのような心遣いからではなかったのでしょう。
王子はただ考えてもみなかっただけなのです。
それに、寄る辺ない娘が、あなた様への愛をはぐくんでいますよと、誰が王子に言えるでしょうか。
人の心の奥にかくされた闇の部分を知らない王子を慕っておりましたが、
そのときはその無邪気な純粋さを憎みました。

女の心はおなじ女同士がいちばんよくわかっております。
日がたてばたつほど、あの方が王子を愛していることは一目瞭然でした。
それなのに――わたしは臆病者なのです。
彼女の王子への愛を知りながら、そのことを王子に伝えることはできませんでした。

だってほんとうにおそろしかったのです。
彼女はわたしよりも美しい人だった。

神につかえる神殿の者かと見紛う神聖な姿をしているかとおもえば、次に見かけたときには
産まれたばかりの赤子のような可愛らしい笑顔をされていました。
ダンスをするときその優雅な手つきや体つきのしなやかなことは人間のものとは思えないほどでしたわ。
ああ、なんてかわらしい魅力的な方なのかしらと、やがて嫉妬している自分がいました。
わたしが彼女にまさっている長所をあげるとすれば、ごく普通に声がでて王子と会話できることだけでした。

いいえ、謙遜などではありません。
仕種や踊りを観察していれば、彼女は一流の躾をされているとわかります。
身分の低い出生でないことはあきらかです。
妹君の名も国もすべてが不明だから庶民のものやもしれないと王子はいっていましたが、わたしはそうは思えませんでした。
あの方は遠く離れた異国の姫君だったのかもやしれません。

知っていることをわざと隠すのは、知らないことを知っているように振る舞うよりもなんと罪深いことでしょう。
王子は何も妹君の心を知らず、妹君もわたくしの心を知りませんでした。
きっと王子の花嫁になるわたしのことを憎んでいたのでしょう。
けれど毎夜ふたりの心を透かしたかのような心苦しさの狭間で悩んでおりました。
それだけは本当のことでございます――。

式がせまったある日、王子は妹のために、見合うだけの貴族の家臣を夫にしようと計画を練っておられました。
わたしの家臣でももっとも忠実な素晴らしい男性と結婚できると知ったら、喜ぶに違いないとおっしゃられ、わたしは頷くのみでした。
本当は好きでもない方と結婚させて、あなたの大切な妹君が幸せになれると御思いなのですかと問いたかった。
すると王子は問い尋ねるでしょう。
それは誰のことかと。
ああ、それを告げたとき、王子はあの妹君を愛するようになる。
わたしはそう確信いたしました。
この国に嫁ぎ国と国の懸け橋になるためにきたというのに、もし王子が妹君と結婚するとひとこと宣言すれば、
わたしはすごすごと自分の国へ帰るしか道はございません。
それでは、これまで信じてきたわたしの生きる存在価値が失われてしまう。
そのことだけはたえがたくて、それ以来わたしは彼女の気持ちを知らない顔をとうし、できるだけ彼女のことを考えないようにしました。
結局王子は彼女を妹君としてあつかい、血のつながらない肉親としてそばにいる以上、愛はうまれなかった。
そして約束されたとおりわたしとの結婚をえらんだのです。

結婚式のとき、教会の柱の陰からわたしたちを見つめる妹君と目があいました。
わたしはあやうくワイングラスをおとしそうになりました。
なにか不吉なことがおきるのでは――そう感じたことを覚えています。

神のまえでわたしたちは誓いの口づけをかわしました。
荘厳な鐘が鳴り響き、幸せにつつまれてわたしは王子の妻になりました。
そして結婚の祝いのために作らせたという都の劇場ほどもあろうかとおもえる巨大船にのりこんだのです。

王女さま、今宵はすべてあなたのものです。
王子はやさしくささやきました。
船内では楽しげな音楽が奏でられ、花が飾られ、料理も素晴らしいものでした。

船は今でもその時の光景が目にうかぶほど大変賑やかしく、人々の喜びの声にみちあふれていました。
そのお祭りのようなさわぎのなか、しずかにたたずんでいる妹君を眺めると、空を見ていたのか――。
それとも海を見ていたのでしょうか。
わたしたちの式ではなくどこか別のことに想いを馳せているように見えました。

その儚げな美しさに引き寄せられ近づいていきますと、妹君は、手に何か隠し持っていられました。
わたしの眼がたしかであれば、小さな刃物だったのかもしれません。
その場にそぐわない危険な空気を感じたとでもいいましょうか、急ぎ足で彼女のもとへいきました。
妹君さま、きょうはありがとう。あの、見間違いかもしれませんが、何かもっていらっしゃるの?
すると妹君が差し出したのは、きれいにむかれた果物のかけらでした。
わたしのために――?
こくりと頷いて、妹君はわたしに果実をくれました。
ありがとう。ほんとうに、うれしいですわ。
果物をむくための刃物だったとかと解釈して、小さなりんごを妹君に笑いかけながら一口かじりました。
それ以上なにも言えずにいると、突然酔いのまわった他国の方に挨拶されてほんの少しお話をいたしておりました。
その方と話終わり妹君さまの方を振り向いたとき、もうそのすがたはありませんでした。
船酔いをしたのか、それともやはりわたしたちの結婚をほんとうは悲しんでいるのかはわかりませんでした。
でも、その時は今はそっとしておいた方がいい――そう思って祝いの席に戻ったのでございます。

あの時なぜ彼女をひきとめ一緒にいてやらなかったのかと―――
わたしはその後数十年後悔することになりました。




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