白い塔 3

白い塔 3



結婚式の翌日のことでした。
ベッドのなかにいたわたしは、みなが異様にさわぎたてる声で、ただならぬ様子に何事かしらと目覚めました。
どうしたのですかとあわただしくいったりきたりする侍女のひとりにたずねてみると、け、今朝から王子の、妹君さまが、と言って、
そこからは取り乱しながら話すので、わたしはまったく聴き取れませんでした。

彼女に、落ち着いて話すように言い、落ち着かせてみると、妹君の姿が船内のどこを探しても見つからないとのことです。

船にいないとなると、考えられることはひとつ――、あやまって海におちたに違いないと判断されました。
家来の何人かは、すでに船に常備されていた小舟にのって海への探索もこころみて、
まだかえってきていないといいます。
ただちに小舟が数隻おろされ、朝日の中海原をすすんでいきました。
わたしのなかでは、妹君が、あの方がいなくなったと信じたくない気持でいっぱいでした。

わたしは部屋で待つよう王子から言われました。
彼女の無事を祈り、待っていました。
彼女がいなくなって、わたしは呆然とたちすくんで声がでませんでした。
侍女に身体を支えてもらいながらなんとか自分の部屋にもどり、窓の外の海の風景を瞳にうつしていました。

どうか無事に見つかりますように――そう心から祈りました。
妹君の所在は一日捜索されましたが、結局手がかりひとつ見つかることはありませんでした。
昨日は祝宴がひらかれ、今朝は花も楽士もいなくなった船の上でお詫びの言葉をささやきました。
ごめんなさい――。
もしわたしがあなたの唇となり、王子にひそかにあなたの想いをうちあけていれば、こんなことにならなかったのかもしれない。
後悔ばかりが波のようにこの身によせてはかえし、おそってきました。

甲板では皆に指令していた王子が、何か床に光っているものを見つけました。
王子に訴えるように光を放つそれは、柄に六角柱の紅玉がはめこまれた素晴らしい作りの短剣でした。
わたしたちは思わず目をあわせ短剣を自らの胸に刺す妹君の姿を想像しましたが、刃に血はついておりませんでした。
けれども船の誰もそのような短剣は持っていないとこたえますので、やはり妹君の持ち物だったのでしょうか。
すると、わたしが昨日の夜に一瞬妹君の手元に見かけたあれに違いありません。
王子にそのことを伝えると、わたしの護身としてそばにおこうと言って、短剣を慈しむように口づけました。

たくさんの方が捜索してくれた結果、ようやく海で発見できたのは、妹君がまとっていた輝く絹の衣装だけでございました。
持ち主の身体からはなれてしまった、用をなさぬ服。
それは上質の薄絹で作られたしろもので海水によってたよりなく透けていたため、衣服というよりは、まるで羽虫の抜け殻のように見えました。

それからも、何日間探しに探しましたが、あの妹君の姿はどこにもなく、何も成果は上がりませんでした。
妹君の捜索を断念して、わたしたちは城に帰りました。
乗り込む時とはうってかわって、沈みかえった帰還になったものです。
王子は遺体がないことを理由に、彼女の葬儀をあげることはなんびとにも許しませんでした。
いつかまた、城にかわいい妹君は帰ってくると信じたかったのかもと、そうわたしは感じました。

城にかえっていっしょに過ごすうち、王子は精神が不安定になりました。
「妹よ。おまえはどこにいる。なぜ、わたしのまえからいなくなった」

普段は以前のように明るい会話もしてくれましたが、時々、狂ったように笑いだしたり泣きだしたりしました。
王子の心がはやくお元気になりますようにと、そう考えてばかりいたとある真夜中のことでした。
何かが歩きまわる気配で目が覚め身をおこすと、いつもは隣で寝ているはずの王子が、
寝室をあちらへ、またこちらへと、あらぬ方向を見つめ不安そうにさまよっていました。

「ああ、声が聴こえてくる。妹だ。あの声が聴こえてくる。おまえには聴こえないか」

けれども。耳を澄ませてみてもわたしには何の声も聴こえてきませんでした。
王子とて、妹君の声を聴いたことはないはずです。
なにせ彼女は話すことができなかったのですから、それは王子にのみ届いた幻聴だったのか、あるいは、海の音。

「いいえ。王子しっかりしてください。ほら――誰の声も聴こえてこないではありませんか。海のきれいな波音を、聞いたのですね。
とても疲れているのでしょう。ベッドで、ゆっくり寝みましょうね」

そういいいつつこどもをあやすように王子の手をひいてベッドに戻そうとした途端、突然王子は走り出しました。
王子お待ちください。
わたしのひっしな声はまったく聴こえない風で、どんどん階段をのぼってゆかれ、とめることはできませんでした。
ようやく姿を探し追いついたとき、王子は屋上にいました。
無機質な表情で立っていて、海を見下ろし、わたしに気がつくことなく、ぽつりと呟かれたのです。

「あそこにいる。わたしの恩人。いますぐわたしもそこへいこう――」

王子はわたしの目の前で、こんどはなぜか妹君ではなく、”恩人”とおっしゃっいました。
そして自らの意思ではるか真下に広がる海へ、音もなくすうっと落ちていきました。

王子が聴いた声、そして見た人は誰だったのか。
海で命を救ったという恩人の方だったのか、あるいは、いなくなられた妹君なのか、いまさら知るすべはありません。

わたしは城壁から暗い海を覗きこみましたが、目をこらしても王子の姿は見えないままでした。
すぐに大声で家来を呼び、海に王子が落ちたと伝えました。
わたしが王子の帰りを待っていると、兵士が王子の姿は海面の暗さのため発見できませんと苦しげに言いました。
次の日ももちろん、こんどは城のすべてのものが海での捜索を行いました。
それでも王子は見つかりませんでした。すべてが、妹君のときとよく似ておりました。

王子の死を悼む嘆きの声が響き渡り、城下町にもこだましておりました。
わたしは、あの方は死にました、と弔問客にいくどもおじぎをし、同じ説明を繰り返しました。
後継ぎを亡くした王は焦り、王妃はわたしを責め立てました。
王子が亡くなってしまったことを受け止められるようになったのは、数日たってからでした。
わたしがこの国に嫁いできてから、王子と、妹君の、ふたりもの方が海に姿を隠されました。
不幸を呼ぶ王妃とみなが噂し囁き合っていることを知っておりましたし、それは至極当然のことなのでしょう。
なかには信じられないことに、わたしが陰謀を企み殺したのではないかと考えている方もいたようでした。
その疑惑を否定すればするほどよけい怪しまれ、わたしは身動き一つできない状態で体調を崩す日々でした。

それから何をしていても体調がすぐれずにいました。
気分の悪しくなったわたしが自分の身体の変化にきずくよりも早く、侍女が優秀な侍医を呼んでくれました。
医者にみてもらって、ようやくわたしははじめての子どもを身籠っていることがわかりました。
産まれた子は王子で、わたしは世継ぎをもうけた王妃として、安定した地位を得ることができました。
するとたちまち、不幸を呼ぶ王妃という呼び名はぱったりと聴こえなくなりました。
あの時、女という存在は、悲しいことに、おおきな権力の中では無力なものとあらためて思わずにいられませんでした。
しかしこどもひとりさえ得れば運命の風向きがかわるのです。
わたしはもう隣の国の王女ではなく、この国の王妃なのだ、そう強く誇りを持ち生きることにいたしました。

生涯を暮らしたあの城からはいつも海が見えました。
海岸を歩くたびに、やさしい王子と妹君さまの瞳が思い出され、教会の鐘がわたしの頭のなかで鳴り響きました。
こどもがうまれた後すぐに、わたしは王妃として、生涯最初で最後のわがままでございますと、海辺に塔の建設を願いました。

ええ、それがいまわたしたちがいるこの塔です。
紺碧の海と空に映えるよう、建設時外面はすべて眩いほどの白い化粧石でおおわれました。
そして大理石でできてたなめらかな螺旋階段をのぼっていくと、今わたしたちがいる小部屋でございます。
さらに階段をのぼると、三階にはふたつの鐘があります。
いつでも解放されていて、誰でもならすことができるとさだめてあります。
こどもが遊び道具として鳴らすのもよし、若い恋人たちが愛の儀式として鳴らすのもよし、老人が孤独を癒すために鳴らすのも、
わたしは歓迎しますわ。
でも、この塔が建っている本当の理由は、海にきえたまま、身体を見つけてあげられなかった王子と妹君の墓標なのですよ。
だから、塔のとある場所には、ふたりが生きた証が彫りつけてあります。
どこにですかって。それは内緒なのですよ。でももしお暇があるときには、神父さまも探してみてください。

小さな書き物机の引き出しには、あの方が式の日の前日までいつもつけていた巻貝の髪飾りが奥の方に入っています。
それに、捜索して見つかった衣装もすぐそばに――神父さまの後ろにかけてありますのがそうです。
当時見つかった時よりも、かなり色あせておりますね。
毎日のように潮風と西からあたる夕暮の陽をあびていますから、いたしかたないことですわ。
今の若い人から見ると、かたちが当世風ではありませんので、さぞ古めかしい物語にでてくる女神さまの衣装に見えますことでしょう。

ここは、妹君の部屋を想定して作られているので、幼い少女たちがここにくると、とても喜んで、住んでみたいと、
そう申すのです。
何とも、内装を考えたものとしては、嬉しゅう言葉でございますね。

神父さま。それでは、あなたが鐘を鳴らすのか何故かとおたずねになりましたね。
鐘には鎮魂の祈りがこめられていると申します。
だからわたしは毎朝、彼女と王子がともに身をしずめた海にむかって、鐘を鳴らし続けているのでございます。
鳴らし終わるといつも庭園で摘んできたばかりの季節の花をまきちらします。
結婚式の日、妹君はわたしのヴェールに、小さな海の色の花びらをかけてくれたのです。
瑠璃色の矢車菊の花びらでした。
花嫁衣装にさらさらと舞い落ちて、それがこの上なく綺麗だったもので、
わたしは今でも矢車菊がいちばんすきな花ですわ。
そうそう。風がふけばおちていく儚げな花びらと、あの方の踊りはよく似ていました。


まあ。きょうも夕暮があんなにきれい。
申し訳ありません。ほんの少しといいながら、寄せては引いてゆくさざ波のようにとりとめない話になっていますね。

まだお話し足りない気持もありますが、きょうはもうお終いにいたしましょう。 いっしょに城で暮らしていた時はわずかだったというのに、
こんなにも心のなかであの方は生き続けているのです。
この国は幸い平和が続き、わたしの息子も王になり、数年前に亡くなりました。
王権などは孫たちにまかせきって、いつこの身がなくなってもいいよう老後を楽しませてもらっております。

すべて終えた今のわたしのあたまのなかは、なぜでしょう。息子より、夫より、いなくなられた妹君のことばかり。
ともに、王子のことを理解したい、王子のそばにいたいと、つねに願っていたからやもしれません。
”可愛い妹”――。
わたしもそうよぶはずだった少女の姿を思い出しながら花びらが海の果てまでたおやかに流れていく様子を
陽が落ちるまで眺めているのは、時に寂しく、時に楽しいものでございますよ。

 2012.3.13(完)


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