海蛇の耳飾り - The earing of a sea snake ‐





海蛇





「魔女さま、どうか、わたしの魚のしっぽを人間の脚にかえてくださいませ」
人魚姫はひっしに言いました。
王子に恋した人魚姫に、魔女は魔法の薬をあたえ、かわりに人魚姫のきれいな声を取引の条件にしました。
「かまいません。王子のもとへいける、二本の脚がいただけるなら、わたしの声はあなた様にさしあげます……」


魔女は高らかに言いました。
「どうだい、この声は。若く、麗しい、あの末の人魚姫の声よ」
いつになくはしゃぐ様子に、長年仕えているうみへびは、たいへん結構でございますとこたえました。
魔女の部屋には沈没した船からとりだした人間のそうしょく品がありました。
そのなかでもとくに大切にしている鏡のまえに座ると、じっくりと自分の顔を見ながら、言いました。
「わたしは、魔法の薬で、老いることはない美貌を生み出すことができた。いまは130歳だが、しわもなく、髪も豊かなまま。けれども、声は美しくなかった。声をかえる薬も調合しようとしたけれど、いまだ成功してない。それならば他の人魚の声を自分のものにできればと思っていたの。ようやくこれで、ながねん追い求めてきた理想の自分になれたわ……」

満足そうにため息をつくと、それから魔女は歌を歌いだしました。
その声をきいた海の魚たちは、人魚姫がいないのに、どうして人魚姫のきれいな歌声が魔女のすみかから響いているのか、ふしぎでたまりませんでした。

けれでも、それから幾日もたたぬうちに、魔女に思いもよらぬ事態がおこりました。
魔女はひどい苦しみをうったえるようになりました。
胸をなにかでさされるような、おさえきれない痛みが走るのです。
そしてのどにもやけつくような痛みがひろがっていきます。
歩くこともできず、よもすがら、巨大でなめらかな貝殻のベッドに海藻を7枚ひいて、横たわっておりました。

「ああ、胸がしめつけられる…、どうしてこんなにも具合がわるいままなの」
「岩でからだでもぶつけられましたか?それとも、最近海水がいつもより冷たいので、風邪を召されましたのでしょうか」
「何もしていないわ。ただ、人魚姫がきて薬をわたした日の翌日から、苦しくてたまらないのよ」」

泣きながら叫ぶ魔女に、黒い海蛇は思いあたって言いました。

「個人的なわたしの考えにすぎませんが、あなたという肉体の器に、とつぜんはいってきた人魚姫の声があっていないのでしょう。あなたさまの意思が喜んでいても、からだが、声を拒絶しているのです」
もしくは、あなたの肉体に、王子を狂おしいほど想う人魚姫の心がのりうつったか、とも思いましたが、それは口にはだしませんでした。

「声を手放せば、あるいは、今よりかは体調がよくなるかと存じます。人魚姫ののどには人魚姫の声がかえり、
あなたさまののどにはあなたさまの声がよみがえる……」
「いやよ!何をいうの。わたしはこの美貌に見合った声も、ほしくてたまらなかったの。ようやく手にはいった声を、あのこにむざむざ返すなんて」
「しかし、声をかえてから、あなたさまはからだに苦痛がおそってきているのです。考えられなくはないですか。」
その言葉にも魔女は耳をかたむけず、ぐったりとして、そのまま気を失っていました。

海蛇は、いつまでも身体をおこすことができない魔女を看病しました。
魔女がまだ目を覚まさない2日目の朝、海蛇は戸棚にたくさんある薬瓶から、ある薬瓶をえらびました。
へびの尾でふたをあけると、瓶に舌を入れ、一気にのみほしました。
うみへびはするすると脱皮するように皮がむけて、なかから人間の若者があらわれました。
それから魔女にキスをしました。
若者の唇がはなれると、魔女の口からしずく型の真珠が、ぽろりとひとつぶこぼれました。
真珠をひろうと、球のかたちをした小物入れになっている黄金の耳飾りに入れました。
そしてもうひとつの耳飾りに、魔女の薬棚のもっとも奥にしまってある秘薬を指先ですくって入れました。
耳飾りを手早くつけると、いまだ具合の悪さに意識を取り戻していない魔女のもとで跪いて囁きました。
「これは、返しにゆきます。あなたの美しい顔が苦しげにゆがむ姿を見るのはつらいです。お許しください」
人間になると、あんなに心地よかった海が、息ができないで苦しいので、すぐに海面にあがろうと両脚で波をけり動き出しました。
若者となったうみへびは、光のあたる海面へと、優雅に泳いでゆきました。

岸につき、それから浜辺に住んでいるらしい者の小屋にゆくと、あんのじょう、ひとりの漁師が網の手入れをしていました。
きみの服を売ってほしいと、魔女のもとからもってきた海の宝石をいくつか手渡しました。
年老いた漁師の男は、見たこともない青や緑の石の輝きに、このような宝石の価値はわたしにはよくわかりかねますが、もらいすぎですと首をふって断りました。
けれでもはだかのままではとうぜん城にいくことができないので、どうしてもこの男を説得しなければなりませんでした。
「では、きみが街にいって、その宝石で城に住む王の目にとまっても恥ずかしくないような服を買ってきてくれ。
もしできたら、馬も調達してきてほしい。あまったぶんはすべてあなたのものだ」
漁師はそれならばと喜んですぐ街へ向かい、若者にあう服を買い、見事な銀色の毛色の馬を連れてきました。

街の服で身をととのえると、見違えるような美しい男性にかわりました。
それから街のまんなかにそびえたつ、人魚姫がいるであろう城に向かいました。
あるいてゆく城下では、馬に乗った美しい若者のすがたに、どこの素敵な王子さまかしらと、娘たちが感嘆の声をあげました。
おずおずと匂いたつ綺麗な花をはたしてくる娘もいました。
けれども、うみへびには、どのむすめもみな似たような顔にみえ、あの魔女の身体の芯まで毒されるような深い美しさにおよびもしないと思いました。

妹君の兄と名乗ると、あまり人魚姫と似てはいないがいかにも美しく教養のありそうな姿に見えました。
けれど、見た目では信用できないと、うたぐりの視線を向けて、なかなかとうしてくれません。
それでうみへびは馬から降りると、門番に誇らしげに話しかけました。
「みやげに、素晴らしい名馬を持ってまいりました。どうぞ、この馬はあなたに差し上げます。」
乗ってきた銀の馬を見せると、門番はその馬がほしくなり、まあいいだろうと、城のなかへ入る許可をあたえました。
こうしてうみへびは、どうどうと城のなかへ入っていきました。

街娘から渡された花を腕にもって回廊を歩いていくと、貴族ではない人間を探しました。
するとひとりの娘が歩いており、侍女らしい娘だったので、ちょうどよいとばかりに手渡しました。
侍女は嬉しそうにそれを受け取りました。
「先日王子をたずねてここへ来た娘がいるはずです。愛らしい容姿ですが、あわれにも生まれつき声が不自由しております。王子さまに庇護されて、城で暮らしているとききたずねてまいりました」
「まあ、それは本当のことですわ。たしかに、声を出すことができない娘さんが数日前いらっしゃって、王子さまは大切にされています。では、まず王子さまにお逢いなさればよいのに」
「はい、ぜひそうしたいと思っております。けれど、まずは妹に逢い、わが妹か確認してから、王子さまにお礼をいいたいと存じます」
「ほんとうの兄君さまがいらっしゃったのですね。では妹君さまと、お兄さまは、どちらにお住まいだったのですか」
「蒼い海の果てから、泳いで来たのですよ」

侍女はくすりと笑うと、こちらですと、人魚姫の部屋に案内しました。
扉をたたき、ながい髪をくしけずっていた人魚姫に伝えました。
「妹君さま。失礼いたします。お喜びくださいませ。あなたさまに逢うために逢うためはるばるお客さまがきております。あなたさまの、本当の兄君さまでございます」
と言うと、再会の邪魔をしないように、また部屋から出て行きました。
人魚姫はじぶんに逢いにきた人がいると聞いて、海にいる6人のお姉さまの誰かかしらと思っていましたが、その人を見て、おどろきました。
生まれたときから兄など自分にはいないはずなのに、それでは、今目のまえに立っているこの人は誰なのかと、人魚姫はおびえた顔をしました。

そんな人魚姫にたいして、海蛇はどこか冷たい表情で、うすく笑いながら言いました。

右の耳飾りをはずし、とんと指でまんなかをおさえると、たまごがわれるように耳飾りがふたつにわれたので、入っていた真珠を取り出しました。
「わたしはあなたに一度だけ逢ったことがある、魔女につかえる、うみへびでございます。ある事情で、あなたに声をかえしに来ました。声はかたちのないものなので、目にみえるものでお持ちいたしました。ああ、しかし、誤解しないでください。あの方があなたをあわれんでお返しにきたというわけではありませんから。だから感謝される筋合いもありません」

そう言ってから手を出すように示し、人魚姫の華奢な手に真珠をにぎらせました。
それから、つぎは左の耳から黄金造りの耳飾りをはずしました。
指で耳飾りの中心をおすと、なかにはさらさらとした乳白色の薬が入っていました。

「その真珠と、この耳飾りにはいっている薬を新鮮な水にとかして飲みなさい。あなたはまたもとのように、美しい声を発することができます」

人魚姫は、まだ信じられないと言う表情をして、いぶかしみながらその男を見つめました。

「心配なさらずとも、毒ではありませんよ。あなたの命をわざわざいただくために、はるばる海の彼方から来るなんてこちらからごめんこうむります。たしか、王子の愛を得ることができなければ、泡になると、そう言われたでしょうか。あなたが薬をえるときにきいたあの契約は、反故になりましょう。声がもどって対価がかわってしまったので、あなたは泡になることはありません。しかし、人魚に戻り海にかえることができるかというのは、また別の問題です。まあ、ここで王子の愛をえる以外に、生きる道の選択がふえることにはなったかもしれません。あなたの声をきいて、王子がどのような顔をするか、みものですね」

人魚姫はほんとうにいいのかと、じっと男の黒い目を見ました。
うみへびが視線をそらすことなく自分をみかえしてきたのをたしかめると、いそいでキャビネットからワイングラスを取り出すとテーブルにおきました。
そして、みずから城の裏にあるもっともすんだ井戸水をくんできました。
クリスタルのグラスにこぼさないよう液体をそそぎ、ぽちゃんと、真珠をしずかに落としました
透明だった水が、じょじょにやわらかな乳白色にかわっていきました。
そして、ミルクのようなその液体を、人魚姫は、緊張のあまり吐息をとめながら飲んでいきました。
グラスに液体が一適のこらずなくなると、人魚姫はのどをふるわせました。

「あ―……。あ……ああ、わたしのこえ……」
ちいさいけれど、ちゃんと、人魚姫の声が部屋に響きました。
「すこしもとの話し方にもどるのは時間がかかります。けれど、それだけの声がだせるということは、あなたの声は身体にかえってきたということに間違いありません。恋焦がれた王子と、話してみてはどうですか」

人魚姫はひさかたぶりにきくわが声に感激して思わず口元を手でおさえると、いてもたってもいられず、うみへびに声をかけることもせず、ずっと恋していた、今も恋している、愛しい王子のもとへかけてゆきました。
うみへびは人魚姫が出て行ってあけはなたれたままのドアをきちんとしめると、用は終わったとばかりに、人魚姫の部屋の窓を大きくあけました。

「ご幸運を。―――さて、ちょうどよく、この窓の下は海ですね。帰りは馬もないことですし、近道をしたくなりました。ここから帰還させていただきましょう」

そう言うやいなや、目を閉じると、背中から窓の外にふわっと身体をなげだし、海にとびこみました。
海の波に身体が激しくのみこまれ、あわがからだをつつみこむと、人間の若者から、また海蛇のすがたにかわっていきました。
それから、魔女のすむ海まで、また優雅に泳いでゆきました。

誰もいなくなった部屋の窓からは風がふきこんで、豪奢なカーテンや棚においてある古い書物をゆらしました。
うみへびがおいていった、中がひらいたままになっている耳飾りも、まるいかたちゆえ、ころころゆれうごきます。
パリン、ととうぜんなにかがはじけたおとが部屋に凛とひびきました。
ふたつの耳飾りがテーブルの下へ転がって落ち、われた音でした。


「具合はよろしいようですね」
帰ってきたうみへびをちらりと見て、魔女が口をひらきました。
「地上にいった、のね」
その声は以前の威圧的なアルトの声にもどっていました。
「お許しいただけませんから、独断で人魚姫にお逢いしてきて、れいのものを渡してきました。その先の彼女がどうなるかにはまったく興味はありませんので、すぐかえって参りました」

ふん、と魔女はすねたこどものような顔で言いました。
「地上はどうだった。ゆたかな食物と、すまいに恵まれているというのは本当?そして、美しい娘はいたかい」
「人間の若い娘というのはみな似たような顔をして、似たような服を着ているように見えました。せまぜまとした住居に、老いも若きも目先のものに夢中になってばかりのあわただしい暮らし。あまり住みたいとは思えませんね。」
「そうか。おまえの人間のすがたも悪くなかっただろうに」

うみへびは魔女の言葉に笑って、そんな姿は本当のわたしではないからと、言いました。
「わたしはこうして、このうみへびの姿で、あなたの首に、腰に、からみついているのがいいのです。
わたしももとは海蛇一族の長となるべきものでしたが、命ある限り、あなたさまにお仕えしたいとすべてを捨ててきました。この暮らしが気にいっていますから、ましてや、人間になって暮らしたいとは思いません。
それに、わたしは人魚姫の声で話すあなたより、自身の声で話されるあなたさまが美しいと存じます」

そう言って、魔女の唇にキスをしました。
「おまえが、そういってくれるなら……」
と魔女も言いながら、ひんやりとしたうみへびの頬をなでつつ、そっとキスをかえしました。



(2012.2.14)

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