連れていかれた人形

連れていかれた人形



大変古いお人形が路地のごみ置き場にすわっておりました。
何十年も前に職人さんが心をこめて作った、今ではどこにも売られていない貴重なものです。
子どもの忘れものかとまわりをみわたしてみても、それらしい人がお人形のもとに来る気配はありません。
どうやらご主人はいないようです。

お人形はひとりぼっちでしたが、いつも前の持ち主を思い出していました。前にお人形を持っていたその子どもはそれは可愛らしい女の子でした。
でも女の子はクリスマスの日に新しいお人形を買ってもらってから、このお人形で遊ばなくなりました。
だからこのお人形は数日後捨てられることになったのです。
ここにおいてゆかれて以来、あたたかい手を差し伸べられるのを今か今かと待っておりました。

クリスマスから三日後の雪の降る寒い日のことでした。
仕事帰りの男性がこのお人形を見てふしだらけの手にとったかと思うとお人形は顔をじろじろ見られました。
お人形がびっくりしていると身体を持ち上げられてれ、そのまま道端に戻されることはありませんでした。

男の人は知らない道をすすんでいきます。ゆれる腕にしがみついていると静かに蝋燭の光が灯っているとても小さな家に着きました。
「坊や、今帰ったよ」
奥にある部屋では男の子がベッドに横になって窓の外の風景を眺めていました。その表情は明るい太陽のようでしたが、顔色は蒼白くて身体も細く見えました。
お人形はこの子はきっと重い病気にちがいないとおもいました。
母親の姿はなくどうやらふたりで暮らしているようでした。
「おみやげだよ。本当は店で買ってあげたいのだが、貧しい暮らしだ。道できれいなお顔をしているお人形を見つけてね。ほらご覧。
栗色の髪に森の色の瞳をしているだろう。遅くなったがクリスマスのプレゼントだ。すまないね」
「ありがとう、お父さん」

お人形は男の子にとても可愛がられました。男の子の爪ほどの小さな手に握手してくれたり、髪をなでてくれたりしました。
前の女の子はお洋服をたくさん着せてくれました。
その遊び方もきらいではなかったのですが、男の子のように身体にさわってもらえると方がうれしく想いました。
なぜなら持ち主さんの体調や気持ちがより伝わってくるからです。

毎日話しかけられていっしょに通りを歩く人々を眺めていました。
男の子はたまに、"森にいって走ったりかくれんぼをしてみたい"とつぶやきます。
きょうも、君の瞳みたいに深い緑の色にかこまれて元気に遊びたいな、という言葉をききました。
お人形は病気をなおしてあげられない無力な自分を感じてとても悲しくなるのでした。

新年をむかえた日マリーという新しい名前ももらいました。
「マリー、これをあげる。僕の宝物なんだ。色も君の目といっしょだからきっと似合うね」
それはさして値打ちのある宝石ではなく、緑色のガラス玉でした。
男の子はそのガラス玉に穴をあけてから麻のひもをとうしてネックレスにすると首にかけてくれました。
マリーは男の子が大切にしているものをくれた気持ちに感謝して"わたしの宝物にします"と男の子にささやきました。

マリーは来る日も来る日も祈るように棚の上から男の子を見守っていました。
しかし次第に病気の状態は悪化していくようでした。冬の寒さも厳しくいっそう身体にこたえるようでした。
「どうかこの男の子の命を奪わないでください」
苦しげに眠っている男の子が可哀そうで、みずからの顔をよせて、すこしでも熱でほてる膚が冷えるようくっつきました。
そして神さまに"病気をなおしてください"と何度もお祈りしました。

しかし待っている神さまはいらっしゃることはなく、かわりに不気味な黒い影が真夜中にやってきたのです。
お人形はベッドにいる死に神がはっきりと感じられました。
「今夜の12時が魂を運ぶ時刻だ。あとわずか数分だ。もうその子どもは生きられない」
「お願いです。かわりにわたしを連れていってください。わたしは魂の宿る人形です。この命をさしだします」
「そうか。人形であろうとも魂にはかわりない。おまえは古い玩具であるためか人間にちかい心をもっているようだ。いいだろう――」
死に神は頷きました。そしてもっていた鋭い鎌を振り上げました……。

翌日の朝、心配していたお父さんは男の子の具合をたずねました。
「お父さん、僕ちっとも苦しくない。身体がかるくてあったかいよ」
驚いたことにすっかり回復して熱が下がっていました。
「坊や、とても元気になったね。父さんはうれしいぞ」
「うん。僕もうれしい。でも……ねえ、父さん、でもあのお人形の瞳がとじて瞼がおりたままだよ。今までこんなことなかったのに。
瞼をあげようとしてもかたくてちっとも動かないの。あんなに綺麗な緑色の瞳だったのに」
「そうか――おまえが無事なおったからふんぱつして修理にだしてみよう」
お人形屋さんにいってみてマリーを調べてもらいましたが原因はわからないままでした。

それきり男の子が大切にしたお人形の緑色の瞳はひらかれることはありませんでした。
誰にも知られないままお人形は死神と黄泉の国に行きました。
そこでは人間の世界で暮らしていた記憶は消されてしまいます。

だけどときどきお人形は瞳をぱちぱちさせて首にかけてある緑色のガラス石を見つめていると、懐かしい誰かに呼ばれているような気がしました。
マリーという名がふときこえる時もありますが、それが誰なのか、いつのことであったのか、わかりません。

暗闇の中で永いこと考えているといつも眠くなってゆき、お人形はせめて夢の中でその人と逢いたいとおもうのでした。



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