人形姫

ある朝水浴びをするために目覚めた白鳥は、目の前に広がる湖のほうを静かに見つめている人影を見た。
目をうたがうばかりの美しい姿に白鳥の身体は凍りついたように動けない。
これほどまでに美しい人間がいるのだろうか。
やわらかそうな金色の長い髪、湖の色をした蒼の瞳、雪のような白い肌、白薔薇をそのまま人にしたような清楚で儚げな姿。
この方は人間でもっとも美しいお姫さまに違いないと信じ込んだ。
白鳥は一生で一度の恋に落ちた。

その日から白鳥は毎朝森をめぐると咲いたばかりの美しい花を選んで摘んだ。
中心にいる姫をきわだたせるように考えながら、姫のまわりにふんわりと丁寧に並べて置いた。
時には髪に髪飾りのかわりにさすこともあったし、わたすように腕の中に捧げたこともあった。
けれどもどんな美しい花を摘んできても数日のあいだに枯れて、花びらが落ちた。
白鳥はみずからの寝食も忘れて、つねにみずみずしい花を探してあちこち飛び回った。
姫は美しく気高く、白鳥はこの人の愛がほしいとひそかに願うようになった。
姫からいただける言葉を待ち続けていた。
「姫、ごきげんいかがですか」
勇気をだして問うても風がふたりの間をとおりすぎるだけだった。
空が青い、風が気持ち良い、何でもいい。
白鳥は姫の声が聞きたかった。
そして姫がこちらを見つめて微笑んでくれる時を待っていた。
早朝咲いたばかりの香りのよい百合をそっと腕にわたす。
「姫、きょうは百合の花をお持ちしました。お気に召されましたか」
けれど姫は小さな唇を閉じたまま遠い空を見つめているだけだった。


ある月夜に、一羽のふくろうが姫と白鳥のもとへやってきた。
森の賢者であるふくろうは木にとまると白鳥を見下ろし、暗闇の中で目を金色に光らせながら言った。
「もうやめなさい。どんなにきれいな花をおくっても、やさしく話しかけても無駄だ。とても愚かなことだ。
そのものは、命がないのだ。人間に見えるが生きてはいない。その悲しい誕生を教えてあげよう」

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