竜黒星

竜黒星



 昔々の、ある夏の季節のことじゃったそうな。
 河の守り神をしていた一匹の竜が、川辺に夕涼みにやってきた、殿様の一人娘に恋をした。
 数日間、姫は河で花を愛でたり和歌を詠んだりしていた。
 雅で美しい黒髪の姫を恋しく想い、竜は若い男に変化すると、姫様に恋心をうちあけた。

「わたしはこのような人のなりをしておりますが、実は河に住む竜です。人間になれるのは、わずかな時刻だけ。
だがあなたを愛する気持ちは誰にも負けない。わたしと夫婦になってもらえないか」
 
 聡い姫は唄うように返事を返した。
 
「若者よ、おまえさんが竜ならば、不思議な力のひとつでももっているであろう。
きょうより毎日村の田畑に雨を降らしておくれ。そうしたら、わたしは喜んでおまえさんの妻になろう」
 突然あらわれたこの男を姫はためそうとおもった。
 今年姫の殿様がおさめている村ではひどい日照りが続き、水が足りず、農民は作物が不作で苦労続きだったのだ。

 竜が村の田畑の上でうなり声をあげて祈ると、人々が待ち望んだ雨がふってきた。
 そのおかげで乾燥していた土はうるおい、植えたものも枯れずに育っていった。
 
 夏の間、ほぼ毎日畑の上を飛び回り、雨の儀式をひとり行っている竜を見て、姫はこの者は夫として信じてもよいと思った。
 田んぼの収穫が終わる秋になったら、竜であろうが、人であろうがかまわぬ、このものといっしょになろうと姫は決めた。
 それはまだ恋をしたこともない姫の本心だった。
 
 ある日姫は、その背にのって村を見てもよいかと頼むと、竜は快く姫をのせて舞い上がった。
「これは素晴らしき眺めじゃ。おまえはいつもここからわたしと村を見ていてくれるのだな」
 竜は今ではめっぽう仲間が少なくなりさみしい日々を過ごしておったので、姫と会えるだけで幸せだった。
「姫が望むならば、これから毎日でもあなたをのせてどこまでも飛びましょう」
 一匹の竜はたくさん笑って、姫もそれに負けないほど笑って空を駆けて飛び回った。
 だが、姫はそのことをまだ城のものには秘密にしていた。

 さて、秋になると、毎日田畑に水をあたえて約束を果たした竜は、人間の姿になると姫の住む城に行った。
 おまえのことを父上に認めてもらわねばならぬと、姫は覚悟して竜とともに、それまでふたりが交わした約束を話した。
 だが、話を黙ってきいていた姫の父上であるお殿様は、最後に首を横にふり、どうあってもふたりの祝言を認めてはくれなんだ。
 殿様は親として、愛情かけて育てた姫に人間の男と一緒になってほしかった。

「竜よ。姫と添い遂げるなど考えないでくれ。おまえとは住む世界が違うのだ。
娘と祝儀を行う者は、山をいくつも越えた国の土地で、城と家来をもっている若い侍と定めている。姫の幸せを考えて、身をひいてくれぬか」
 
 お殿様の言うことには逆らうことができず、姫も泣く泣く竜に別れを告げるしかなかった。

 竜はもとの巨大な竜の姿に戻ると悲しい瞳をしてうったえた。
 
「姫様。あなたとともにいられないのなら、わたしはどうすればよいのか。
あなたと夫婦にはなれないならば、もうこの地上で暮らしていくのをやめてしまおうか」

「ああ、わたしの竜。もう、あの河には住まぬというのか。おまえにもう会えないのはわたしとて寂しいぞ」
 
 姫は竜をあわれに思い、長い黒髪の先を切り取ると、それを竜の爪に結んでやった。

「この髪はわたしの一部じゃ。離れていても、わたしの身体とそなたはいつも近しい。
他の男のもとに嫁いでも、おまえを愛していたと、永遠に誓おうぞ」
 
 竜は姫の誓いを聴いて喜びながら空高くのぼっていき、やがて見えなくなった。

 それから後、姫は隣の国の男のもとへ嫁いでいった。
 その国は姫が嫁いだ頃は平和だった。
 だが数年後、とある武将の裏切りで戦に巻き込まれていた。
 大勢の敵に城をぐるりと包囲され、火の手があがり、姫は城の部屋で身動きさえとれなくなっていた。
 姫は城が混乱している火の海の中、さけんだ。

「きこえるだろうか。黒髪をわけた竜よ――。まだおまえがわたしを想っていてくれるならば、どうかここへ迎えにきておくれ―――」

 姫の声がひびいた瞬間、空からうごめく暗雲がたちこめたかとおもうと、巨大な竜が流れるようにうねりながらやってきた。
 爪に巻いている黒髪を紐のように姫のいる前へたらすと、姫はそこをつたって竜の背中にのぼっていった。
 そのまま一匹の竜と人間の姫は、何事もなかったかのように空の彼方へ飛び去っていく。
 その姿を姫の夫である侍や、城の家来、敵の大将までが口をあけたまま見上げておった。

  その場に居合わせた誰もが竜に驚き、戦のことをしばし忘れておった。
 気がついたときには小雨がふりはじめ、激しかった炎はだんだん消えていき、戦も嘘のように静まりかえって兵の気力がほとんどなくなっていた。

  戦はやがて決着がつき、すべてが前と同じとはいかなんだが、隣の国と姫の村はまたのんびりとした暮らしに戻っていった。
 
 竜と姫様のことを耳にした村のこどもたちはある日、夜空を見上げると竜のかたちに光っている蒼い星のかたまりを見つけた。
 竜の星座の背のあたりには、小さな黒い星も瞬いている。
 まるで背中に姫様がのっかっているようじゃ、とみなで笑い合った。
 
 村祭りでも竜と姫様の星探しが流行りになって、その星を恋しい人と見ると幸せになれるという。

「あれだぞ。竜が空で生きている」
「竜の姿が美しく見える年は、豊作だ」
「姫様の星も無事じゃ。ほんまによかったのう」

 秋にその星はあらわれてもっとも美しく輝くのは、竜と姫様が田畑を仲良く見守っているからじゃ。
 姫様を愛して空で暮らしている竜は、今でも雨を降らしてくれる大切な竜神様となり祀られている。
 
 そして竜のかたちをしたその星座はいったい誰がつけたのか、いつしか竜黒星(りゅうこくせい)と呼ばれている。
 


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