目覚め

姫が糸つむぎの針にさされて眠った3年後のことです。

うす暗いいばら姫が眠る部屋に、親指ほどの大きさもある黒いクモがあらわれました。

クモは時が止まった城の部屋を移動し、ようやくいばら姫を探し出し再会しました。

姫は天蓋付きのベッドのもと絹のクッションに囲まれ、バラ色の頬で幸せそうに眠っていました。



(ああ、あの時のままだ。うつくしいお姫さま。わたしの恋した人。

きっとわたしのことなど覚えてはいないでしょうが、わたしはあなたの微笑みを忘れたことはありませんでした。)

クモはしみじみと思い出していました。

姫とのいちどきりの短いかいこうを。

昔この城に迷い込んできたクモは城が気に入り、どこかに巣を作ろうとしましたが、どこに巣を作ろうとしても追い払われました。

「いつ見ても気持ち悪い生き物だ、あっちに行け!」

王さまやお妃さまの目にふれさせたくなかったので、城の召使たちはこぞってクモを殺そうとしました。

そうじのためのほうきでつつかれ、かたいくつでふまれそうになり、ほんとうにあとすこしで殺されるところでした。

それで城に住むことをあきらめて、泣く泣くここを出ることにしました。

階段をつたって降りていこうとしたとき、きれいなクラヴィアサンの音がしました。

音色に引き寄せられその楽器部屋に入ると、ちょうど演奏していたうつくしい姫に出会いました。

あまりの姫のうつくしさにぼおっとしていると、ちいさな虫の存在にきがついた姫はにっこり微笑み手招きをしました。

クモがおずおずと近寄るとさっとしろいレースの縁取りがついたハンカチをひき、あまいお菓子のかけらをその上にそっとおいてくれました。

(こんな方がいるなんて、信じられない。天使のようだ……。)

はじめてクモは人間にやさしくしてもらいました。

そしてその瞬間、いつかこの姫のためになにかできたら、と考えました。

城を出て森の奥で暮らしても、姫のことを1日たりとも忘れたことはありませんでした。





姫が呪いによって倒れたと知ったとき、城に行って姫の様子を確かめたい、そう思いました。

こんこんと眠る姫はいたって健康そうで幸福な空気につつまれていました。

その光景を見たクモは、自分が死したあと呪いはとけ姫はかならず目覚める、そう確信しました。

姫の幸せな未来を祈って、クモはその日から純白の世界一うつくしい糸でレースを編むことにしました。

いばら姫が倒れた糸つむぎのある塔の部屋で糸をつむぎ、ようやく完璧な糸ができると雪の日も雨の日も編み続けます。

あっというまに数年がたち、12月の雪のふる日に、ようやくすべて編み終わり、レースのベールを完成させました。

小さな編み針を置き、クモはずっと動かし続けていた手をとめました。

そして部屋の奥の気配のある場所にむかってとつぜん話しかけました。

「そこにいらっしゃるお方、お姿を見せてください。」

「……気づいていたのですね。」

声の主がじょじょに人のかたちになっていき、やがてはっきりとその姿をあらわしました。

月よりも輝く衣装をまとった女性がやわらかく微笑みました。

「毎夜あそこで暗闇を照らしていたでしょう。わたしの作業がすすむように力を貸してくださっていた。」

「いつも熱心に打ち込んでいるあなたをただ見ているだけでは、仙女の名がすたりますからね。」

「仙女さま、すぐれた力を持つあなたにお願いがございます。わたしのすべてをそそぎこんだこのベールをいつか姫に渡してください。

けれど、どうかわたしのことは言わないでください。

わたしのようなものが作ったと知ったら、けがらわしいと感じてベールをつけてくれないかもしれないですから。」

仙女はいばら姫ならばけっしてそのようなことを言わないと思いましたが、今にもクモが力尽きようとしていたので黙ってうなずきました。

「そしてもうひとつ。わたしが死にましたら、なきがらを城の裏にあるかだんに埋めてください。

もしもつぎの生があるならば、その時は誰からも愛されるうつくしい花に生まれ変わってきたいのです……。」

クモはそう言い残すとしずかに息を引き取りました。



仙女は両手にクモをのせ、何の花も咲いていない枯れ果てたかだんに行きました。

冷たい雪をかきわけてくぼみを作り、深い土のなかにかたくなったクモを埋めました。

そしていつか姫が目覚めたとき、このかだんが花でみちあふれいっぱいになるようにと魔法をかけたのでした。




糸つむぎによって眠りについた日から100年後、ついにゆうかんな王子がやってきました。

いばらのしげみを剣でかきわけ塔の部屋までたどりつき、姫の姿を見て思わずひざまずきました。

王子がキスをすると、ながいながい眠りからようやくいばら姫は目覚めました。

「わたしはいったい、何をしていたのかしら。あら、あなたは…。そう、ずっと、夢を見ながらあなたのことを待っていたのです。」

王子と姫ははじめて会った気がせず、すぐにたがいが運命の相手だとわかりました。


結婚の日、花嫁衣装に身をつつんだいばら姫に仙女はクモと約束したベールを渡しました。

「姫、あなたにどうしても身に着けてもらいたい品があるのです。どうぞこれをごらんなさい。」

「……仙女さま。これは?」

「手作りのレースのベールです。花嫁のあたまにつけるべき大事な贈り物です。あなたにと、何十年も預かっていたのですよ。」

「まあ……なんてうつくしいのでしょう。わたしの背よりもずっとながくて、編み目も細やかで、恐れ多いような芸術品です。」

「心をこめて作ったものは、どんなものでもうつくしさを秘めているのですよ。」

「春の日差しのように、やわらかくて、あたたかいです。仙女様、このレースを作って下さった方は今どこに……?」

「とてもやさしい方でした。あなたが眠っていたあいだに亡くなられています。いまは花々が咲く場所であなたを見守っています」

「そうですか…。お礼を申し上げたかったのに、とても残念です。」

その時、明るい声が部屋の扉の向こうで響きました。

「姫、わたしです。おむかえにまいりました。」

扉をあけ姫が王子にかけより、ベールを見せます。

「王子さま、このベールをつけてくださいますか。どなたかがわたしのために作ってくださったのです。」

王子は力強くベールを受け取ると、願いどおり姫のあたまにかぶせました。

そしてそのベールの上に今しがた持ってきたルビーがついたティアラをそっとのせました。

「わたしの愛しい姫。これからも一生お守りします。ともに幸せになりましょう。」

王子に手をとられていばら姫は結婚の準備がととのった大広間へ歩いて行きました。

城内に姫と王子の結婚を祝うラッパや楽団の演奏がひびきわたります。



ステンドグラスのバラ窓から太陽の光がそそぎこみ2人のうつくしい姿を照らしだしました。

いばら姫が光輝く微笑みをうかべながら夫婦の誓いをのべるとき、ベールもつややかに光輝いていました。


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